マルカワみそ会長の思い出
- 2021/08/09
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私にとって祖父(会長)は、父親のような存在でした。
80歳の会長(右側)↓

私が5歳の頃、1991年から父(河崎宏)は味噌屋をしながら、有機大豆、有機米作りを始めた。
専業でも大変な有機米作りを、兼業農家としてスタートしたのだ。
父(河崎宏)の有機米、有機大豆作りは上手くいかず、常に悩んで苦しんでいたのを子供ながら
隣で見ていたのを覚えている。
父は朝から晩まで仕事、土日もずっと仕事で家庭にいた事はほとんどない。
ガキンチョである私の子育ては、主に祖父が面倒を見てくれた。
祖父は「そろばんは勉強しておくと、為になる」と言っていた。
1から100までを足していくと、丁度5050になる。
夏休みの宿題という事で、午前中はずっとそろばんで足し算をしていた。
当時の私は「こんなそろばんなんかしても意味があるのか。電卓があるじゃないか」
っと思いながら、そろばんをパチパチしていた。
今となって思うと、私はパソコンのキーボード打ちが人より早い。
ワープロ検定1級持っている。
これも祖父のそろばん打ちの成果、おかげだと思う。
祖父には、今からでは遅いが感謝を申し上げたい。

私は2007年にマルカワみそに入社した。
その時、会長はまだ現役だった。
当時の会長が言っていた言葉がある。
会長「俺は他の人より良い味噌、美味しい味噌を作る事にしていた。
だから絶対に温醸(発酵を促進させた醸造方法)はしない。
温醸の味噌は、うもない(美味しくない、方言)」
この会長の意思は、今でもマルカワみその方針として残っている。
父(社長)からは「温醸(発酵を促進させた醸造方法)の味噌を作るようになったら、味噌屋をやめろ」
っと言われている。
会長から社長へ、社長から私へ、マルカワの味噌作りの想いと引き継いでいきたい。